フラワー・オブ・ライフ:悪魔は手を変え品を変え
私は2009年の夏の終わりから暮れにかけて(19歳から20歳になるタイミングで)、ずっと10代で居たいという気持ち、だがそれは叶わないという事実の狭間で、破壊的思考に包まれていました。
その時期にアセンションという言葉を知りました。人類が次元上昇するという発想は、『歳を取ることなんて考えなくていいくらいすごい時代が来る!こんなことで悩んでいるのは馬鹿馬鹿しい!』と思わせてくれて、当時の自分にとっては救いでした。
小松英星氏のガイア・アセンションというサイトを知り、YOUTUBEでアセンション系の動画(バシャール、エックハルト・トールなど)に浸るようになり、引き寄せの法則も信じるようになりました。今思えば、ニューエイジやニューソート(悪魔的なもの)にどっぷりはまっていたわけです。
当時の自分の解釈にスピリチュアルには良いものと悪いものがあるというのはあったのですが、頭の中で3次元の現実VSスピリチュアル世界という構図になっていました。どっちを見ても悪魔が手招きしているんですよね…
ベートーヴェンとフリーメイソンの関係
初めに断っておきますが、私がこう言った記事を書く理由は過去の芸術、クラシック音楽を批判したいからではありません。
著者がどういった信条を持ち、創作していたかというところに焦点を当てて話が進んでいくのですが…極端な話、作者が悪魔的なものを意図せず作ったものでも、世の支配者たちが都合よくそれを悪の象徴として扱うこともあるでしょう。
ですので、ベートーヴェンはフリーメイソン!はい黒!悪魔的!地獄に堕ちたくないなら彼の作る曲は聞かない方がいいよ!…と安直にはいかないはずです。(多分)
ただ、悪魔崇拝者たちが支配する世の中でもてはやされるものは悪魔的な要素があると疑うことは間違ってないと思います。
アヴェ・マリアは悪魔崇拝の曲
皆さんは『アヴェ・マリア』という曲を聴いたことはあるでしょうか。
実は『アヴェ・マリア』という曲は数多くあるのですが、多くの人に聞きなじみがあるのはおそらくこの2曲でしょう。
・エレンの歌第3番(アヴェ・マリア)-フランツ・シューベルト 1825年
・グノーのアヴェ・マリア-シャルル・グノー 1859年
アヴェ・マリアというのはキリスト教(特にカトリック教会で)で聖母マリアをたたえる祈りの言葉だそうです。しかし聖書にはマリアを拝むようにとは一言も書いてありません。
聖書には神だけが礼拝されるべきであるべきとあります。(ヨハネの黙示録22:8-9参照)
『神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただひとりなのです。』(テモテへの手紙2:5から引用)
X JAPAN(YOSHIKI)はとことん悪魔的でした
昨年暮れの紅白出場など、メディアでも持ち上げられているX JAPAN。メディア自体が相当な悪ですから、メディアに出てくる人間はほとんどあちら側に取り込まれた人間と言っても過言ではないのですが、そうあってほしくないという想いもありました。
しかしながら、現実から目を背けることはできません。悪魔との決別をしなければなりません。
モーツァルトは悪魔崇拝者だったのか
私は一年程前にピアノを習い始めました。
クラシック音楽に慣れ親しむ機会が多くなったことで、今までクラシックという大きな漠然とした捉え方で見ていたものが細分化されていくのを感じています。
それはクラシックの中でも、自分の好きな音楽、好きな作曲家というものが徐々に分かってきたからなのだと思います。私の場合ですと、ショパン、ベートーヴェン、あとはラフマニノフですね!
情報依存をしない『主体性を持って生きる』
この世の闇について常々考えています。
アセンション、陰謀論、霊界、前世、宗教…ネットに溢れている情報は混沌を極めています。
そもそもこういうことを調べるようになったきっかけはテレビに対する違和感からだったでしょうか。テレビを見ているとたいてい気分が悪くなります。報道番組は特にひどいです。
利権や権力構造のとばっちりを視聴者は受けてるんだと思います。そこに真実はないでしょう。報道番組に限らず、低俗なバラエティー番組、音楽番組、裏には必ず思惑(闇)があります。